オタク » 二次元トーク
2007年8月29日
「何気に似すぎ」
冬コミ何で申し込むか迷ってたわけですよ。
もろもろの理由から、また『ひぐらし』のときと同じコンセプトで『うみねこの鳴く頃に』本でも作ろうかと思ったのですが......
だって、

もろもろの理由。
そして極めつけがコレ。

もんた。
むほッ!
ヤヴァイですよ『うみねこの鳴く頃に』まぢヤヴァイ。
他にもレニいるし。羽柴誠三秀吉様いるし。
登場人物の凄まじさは厨ネームだけじゃありませんぜ。
でも普通にいつものように創作(少年)で申し込み。
だってめんどいもん。だってみのさん怖いもん。
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2006年7月30日
「キャラに萌える作品づくり(2/2)」
はい、予告どおり前回のお話の続きですよ。
前回の話をまとめますと、
「視野が狭い」どうこうはちょっと分かりにくかったかも知れないので、今回話する内容に移る前に補足説明しておきますと、作品の擬似セカイ系作品化と言い換えることができるかもしれません。
従来の作品では主人公と世界は社会という接点でもって接しているのに対し、セカイ系作品というのは主人公と世界のあり方が直結してるような作品のことを指します。
作品世界の作り手である作家が主人公に同化して作品を作ると、主人公の視野が及ばない範囲の世界は最初から存在しないことになり、結果的に主人公の認識できる範囲のみが作品自体の"セカイ"になります(今回はわざわざ"擬似"セカイ系作品という言葉を用いましたが、数多あるセカイ系作品自体、作家の技量が足りず結果的にセカイ系になっただけのものがかなりの割合を占めるので、その区別は微妙なところです)。
もちろん作品世界の一部であるヒロインもこれによって影響されます。本来なら主人公とヒロインは作中で独立した存在であり、作中のやり取りや人間関係が互いの接点ということになります。しかし擬似セカイ系作品化した作品では、この接点のみがヒロインという存在の全てであるのですよ。
ただし作家の技量云々はともかく、このような創作スタイル自体は魅力的なヒロインを作り上げるうえで不利なことばかりではありません。メリットとデメリットが共存するので、それを見極めて利用することが大切なのです。
というのが、前回の内容でした。
さて、ではいよいよ今回の内容に移りましょう。
魅力的なヒロインを提示する上で、主人公視点で書かれた主人公視点の作品のメリットとデメリットとは何ぞや。
これは前回の内容を考えると、すぐに分かることです。
主人公が直接認識できない萌え要素を描くには向いていません。つまりデメリット。
主人公に直接認識できる萌え要素を描くのに向いています。つまりメリット。
すなわちヒロインの"萌え"を構成する要素と主人公の距離が遠ければ遠いほどその要素は希薄になり、逆に近ければ近いほどその要素は強調されるのです。
例えば微風で乱れた前髪を直すしぐさ。はにかんだ笑み。会話時のちょっとした首の傾き。
こんな何気ないしぐさでも、主人公と感覚を共有する読者にとっては超絶萌え要素に変化するわけです(注:"萌え"の主体はあくまで読者・視聴者であり、この点において主人公の主観は読者の主観によって上書きされます)。
しかし逆に、ヒロインがアーサー王の生まれ変わりの吸血鬼でメイドロボだという裏設定があったとしても、それが主人公の作中の体験(=ストーリー)に直接関係なければ、全く意味がないわけです。
このような主人公の五感で直接捉えたわけではない(もしくは実感を伴わない単なる情報として処理された)萌え要素を、"記号的"萌え要素と呼ぶことにします。
記号的萌え要素は、作品を通して復号化しない限り、主人公視点の作品において十分な萌え足り得ません。
本来ならば。
ですが主人公の一元描写による作品が多いにもかかわらず、最近のヒロインの多くはこの記号的萌え要素ばかりが強調されているように感じます。その結果ヒロインのキャラクターとしての存在が希薄になり、魅力がなくなってしまっています。
記号的萌え要素を絵の具に例えるとするなら、キャンバス上により高級でより多種の絵の具をぶちまけることばかりに目を向けて、肝心の絵を描く作業がおざなりになっているのではないでしょうか。本当は絵を描くために必要な絵の具のみを使用すれば良いのであって、大切なのは絵の仕上がりだというのに。
でも本当にそうなのでしょうか?
だったらなぜ、その希薄なキャラ相手に萌え萌えいってるオタクさんたちがこんなにも多いのでしょう。
最近では読み手側も記号的萌え要素に評価のウェイトを置き、それらへの評価がキャラ及び作品の評価へと直結するケースが多くなっています。先ほどの例えを用いるなら、絵の具のみによって、絵自体の評価が決定しているということ。つまり記号的萌え要素の扱いが、ヒロインが萌えキャラであるための必要条件から必要十分条件に変わりつつあるのです。
記号的萌え要素は消化され実感可能な萌えへと変換されない限り、十分な萌え足り得ないというのは前述のとおりです。しかし本来作り手の義務であったはずのこの変換作業ですが、読み手自身が変換能力(いわゆるオタク補正)を有することによって実際の作品中で提示される必要がなくなっている、というのが現状ではないのでしょうか。
すなわち、記号的萌え要素が"漫画的記号"(例えば顔に描かれた米粒のような形状が「汗」を意味するなど)のように、それ単独で説明を必要としなくなっているのです。
オタク特有の共通言語だ!うはーキモすげーぇぇぇ!
というのが、最近のマスメディアにおける記号的萌え要素(=彼らのいうところの"萌え")の持ち上げ方。
オタクはメイド服に萌える。オタクは猫耳に萌える。
しかしまるたぁさんは、記号的萌え要素は決してそんな共通言語たり得ないと思っています。
理由は簡単。共通言語になるには、それぞれの単語の意味について言語の担い手全員のコンセンサスを得る必要があるのですが、萌えという感情が好き嫌いという好みに根ざす以上、コンセンサスが得られるわけないからです。少なくとも"オタク全体"のコンセンサスは得られません。
それがあたかもオタク全体の共通言語になっているかのように錯覚してしまうのは、そのうちの数単語について共通した認識を持つ小集団がネットを媒介としてつながることにより、巨大な"オタク層"という集合体を形成しているからなのですよ。
みんな同じように異質でキモイため同一視されがちですが、細かく見てあげると実際はそれぞれ好みが異なるので、記号的萌え要素が、共通の嗜好を持つ人たちによるコミュニティ内はともかく、オタク全体の共通言語となることはありえません。
これが記号的萌え要素の限界です。
作品が極めて狭い層の読み手に向けられたものでないかぎり、これは致命的であるといえます。
まぁ最近はその"狭い層"の絶対的人数が馬鹿にならないので商業的な意味ではそう致命的でもないのですが、広い読者層に対してアピールできるかどうかという点においては非常に重要なポイントとなってきます。
では、魅力的なヒロインを読み手に提示するのに記号を用いることができないのであれば、いったいどうすればよいのか。
答えは、記号ではなく実感の伴う萌えにあります。すなわち五感で直接捉えることのできる、人間のよりプリミティブな部分に訴えかける"直感的"萌え要素。
例えばしぐさ。例えば表情。例えば台詞。
萌えというのはあくまで読み手の胸のキュンキュン回路に火を着けるかどうかが重要であり、キュンキュン回路とは人間の原始的なラブラブ感情(性衝動とは少し違う)。オタ・非オタすら問わず、全ての人間は持ち合わせています。
つまりフィクショナルな"セカイ"の理性による解釈が必要な記号的萌え要素ではなく、読み手の本能自体を直感的な萌えを利用して揺さぶってやりましょうぞということです。
ぶっちゃけたはなし、街で自分のことをボクと呼ぶ天使羽着けた痛いコスプレ腐女子が鯛焼き強奪するのを目撃するより、修学旅行で風呂上りの同級生(♀)のシャンプーの香り&うなじのコンボを食らったほうがよっぽどキュンキュンくるだろうってことです。そんな何気ないながらも実感伴いすぎな萌えキュンキュン。
もしくは『涼宮ハルヒの憂鬱』で魔女コスプレやら未来人やら炉利巨乳やらがものすごい枚数の原画で蠢いているより、『桜蘭高校ホスト部』のほうのハルヒがほとんど止め絵に近い数枚の動画で「お口にチャック!」とやってくれたほうが何千倍も萌えるでしょう。キュンキュン。
このように作り手は、特に主人公の一元描写を叙述形式として用いる場合、主人公(=読み手)の五感に訴えかける萌え作りを心がけるべきではないでしょうか。
そうすることにより、ヒロインにあたかもそこにいるかのような存在感を与え、その魅力を現実的なものとして大抵の読み手に感じさせることができます。つまりより多くの読者・視聴者にとって魅力的なヒロインが出来上がる、と。
しかし前述のとおり、作家自身も記号的萌え要素ばかりを重視して、この直感的萌え要素がおざなりになりがちであるというのが最近の実情です。記号は記号であるがゆえに扱いが簡単で分かりやすく、説明しやすいという理由からでしょうか。
しかし先に述べましたとおり、記号的萌え要素に依存しすぎたキャラ作り・作品作りには先が望めないのですよ。漫画史においても漫画がここまで発展し普及するには、旧世代の漫画家が考案した漫画的記号をはじめとする創作スタイルの見直し、いわゆる"手塚からの脱却"が必要不可欠なものでした。
この部分においては、"萌え"も漫画と同じように捉えることができるのではないのでしょうか。すなわち萌えのさらなる発展・普及のためには、現在の記号的萌え要素に依存しすぎ硬直しつつあるあり方を見直すべきではないでしょうか。
でないとまるたぁさんがキュンキュンできないの。だからお願い。
(←直感的萌え要素を描く上でもっとも効果的であり最も難しいのが非言語コミュニケーション。つーか絶対に必要なのに、最近のクリエーターに欠如している知識。存在感のある人間を描きたいなら、この手の本を必ず1冊は読んでおきましょう。)
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2006年7月25日
「キャラに萌える作品づくり(1/2)」
先日大学の元先輩と、最近の作品のヒロインの傾向について語っていたのですよ。
どうにも萌えるヒロインが少ねーなぁと。
でも今や世間は萌えインフレ。オタ非オタ問わず、萌えキャラなるものが氾濫しています。
むしろメジャーになりすぎたせいで、本来のオタ層はもはや"萌え"という言葉を使うのを倦厭するほど。まぁだからといって萌えていないわけではなく、直接的な言葉を避けるだけで脳内では萌え萌え萌え萌え垂れ流しているんですが。
そういうわけで世界は萌えキャラに満ちているはずで、実際ヲタどもはそこら中で萌えてます。
でもまるたぁさんはあんまし萌えないの。
まぁ全くというわけではありませんが、少なくとも萌えキャラの流通量に反比例して、萌えることのできるキャラが減少しています。個人的に魅力を感じるキャラが減ってるってことですね。
じゃ、それはなんでやねん。
ということを、萌えの流行に付いていけない我ら古いタイプのオタクたちが、うだうだキモ談義していたわけです。
で達したひとつの結論。
最近のヒロインは、独立したキャラクターとして成立していないんじゃないでしょうか。
作品という世界の中で生身の人間としては存在しておらず、どうも単なる主人公(♂)の付属品と化してるような気がします。
つまり主人公を始点としたときにどういう存在であるのか。例えば主人公とどんな会話をするのか。主人公にどういう接し方をするのか。その存在が主人公にどう影響するのか。
まぁそれがヒロインの存在意義の中でもっとも大切な部分ではあるんですが、それ以外の"主人公に関与しない部分"がおざなりになっているんですよね。でもその部分こそが、キャラクターの"存在"に説得力を与える重要な要素になります。
すなわち最近のヒロインは、独立したキャラクターであるために必要な主体性が欠落しているのではないでしょうか。
実際、まるたぁさんたちが萌えることのできるヒロインを列挙していくと、どれもヒロイン=主人公でありヒロインが例外的に主体性を維持している作品に行き着きます。
このヒロインの付属品化は、最近の作家の作品作りのスタイルが関係していると考えられます。
最近のオタ作品によく見られる傾向として、一人称・三人称(三人称一元描写)の叙述形式を問わず、作家が主人公の視線で作品を作ってしまっています。つまり語り手として客観的な立場に徹するのではなく、主人公となって擬似体験しているような感覚で作品作りを行っているのがありありと伝わってくるのですよ。
ギャルゲ脚本やそれに影響を受けた作品が、オタ作品においてスタンダードとなってしまっているんでしょうかね。
もちろん主人公視点で作品を作ることが、悪いわけではありません。
読者を感情移入させ、当事者であるかのように物語を体感させ、ヒロインの魅力を直接読者に"感じさせる"という点では、非常に有効な方法です。欧米作品によく見られる叙事詩的(三人称多元的描写)な作品は、客観的な視点に徹するあまりヒロインの魅力は"説明"せざるを得ず、読者に伝わりきらない部分が大いにありますし。
しかし逆に、主人公視点ではどうしても書ける内容に制限があり、視野が狭くなってしまいます。
要するに必要に応じて程度を考えろってことですね。
それができていないのが、最近の作家の多くです。キャラクターデザインの段階ですでに主人公視点になってしまっているので、そりゃ設定にも深みが出ません。
さらに輪をかけてダメダメなのは、作家自身が主人公になりきれていないということです。
本来なら「自分を殺して主人公になりきった上で書く」というのが主人公視点での作品の作り方なんですが、彼らは単に「主人公に自分を投影して書く」ということをしているのですよ。おかげで作家の主観が変に作品に入り混じってしまい、主人公と主人公になりきった作者という二重のフィルタを通して、ヒロインが希釈された存在になっている気がします。
さて、ではヒロインを主人公視点で描くというのは、ヒロイン描写において不利なのでしょうか。
もちろん違うのですよ(作家の主観が入るのは論外ですが)。
主人公視点で描かれた作品で名作といわれるものの多くは、主人公の一元描写で語られながらも、ヒロインが確固とした存在感を維持しています。
前述したとおり、主人公視点では一部の要素は強力にエンハンスされ、逆に一部の要素は希釈されてしまいます。そのメリットとデメリットを正確に理解し、利用する必要があるのですね。
(長くなりそうなので、次回に続く)
(←作品を作るための"技術"を学ぶにはいい本。精神論を振りかざす「小説の書き方」本が多い中で、珍しく理に適ったっつーか完全に理屈だけの鬼のような書き方を解説してくれるので、基礎を学ぶには◎)
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2006年7月10日
「ご冥福をお祈りします」
イラストレータの堀部秀郎氏がお亡くなりになりました。
プロとは名ばかりのヘボ作家が氾濫する昨今では珍しく、類まれなスキルをお持ちの方でした。
まるたぁも少なからず影響を受けていた作家さんなので、本当に残念な限りです。
氏の絵はまるたぁの絵柄の模索に対する、ひとつの回答でした。
まるたぁもしくは当HPとお付き合いが長い方はご存知のとおり、まるたぁは"絵柄"というものをことさら重視しています。
よく絵柄は完全にオリジナリティと割り切り、画力と違って絵柄にはあまり気を配っていない人がいますよね。でも絵柄は画力と同等もしくはそれ以上に、絵を描くにあたって重要な要素ではないでしょうか。
画力が自分の中のイメージを作品に落とす際の"成功率"のようなものだとしたら、絵柄はそもそもその作品において表現可能な"幅"を左右するものだと考えています。
極端な例を挙げるなら、どんなに画力のある人でも植田まさしの絵柄で描いてしまうと表現の幅に著しい限界が生じるということです。漫画においては演出やストーリーによってある程度補うことができるかもしれませんが、一枚絵であるイラストでは、その限界は致命的です。
だから絵を描き初めて早々に絵柄の安定・固定を図る人たちがいますが、はっきりいって言語道断ですよ(もちろん同じ作品中では統一感を出すためにある程度固定する必要がありますが)。
さてそこでまるたぁさんの目指している絵柄というものですが、具体的には次のポイントを重視しています。
・三次元的に整合性がある
・線の数が少ない
・線が閉じている
・細かい表情も表現可能\n・大げさ(記号的)な表情にしたときにあまり浮かない
・複雑な体の動きも可能\n
<描き分け>
・人物のデザインにかなりの幅が持てる
(異なるタイプのキャラを混在させても違和感が生じない)
・キャラのデザイン面での個性付けが記号的でなくとも可能\n・いわゆる"美形"の収束点が複数存在する
<大衆ウケ>
・あまりクセがない
<個人的好み>
・可愛いキャラにちゃんと萌えられる
・美人キャラはちゃんと美人
・カッコイイキャラはちゃんとカッコイイ
・脳内アニメーションが容易
そこで最近のイラストレータの多くは、単に可愛い女の子の止め絵が描ける絵柄で満足しちゃうわけですよ。
まぁそれさえ満たしてりゃヲタウケが良いので売れますからね。女の子がギャルゲ表情でギャルゲポーズしてる記号的なイラストを描くのであれば、それで十分ですし。
もしくは漫画家を目指している人の場合、描きやすさを重視するあまり可愛さなどを妥協してしまうんです。もしくは顔アップばかりのヘボ漫画を描くか。
だから絵柄について誰かを手本にしようと思っても、最近じゃその手本を見つけるところからして難しいわけですよ。あれだけ萌え絵師と称する人々が氾濫しているにもかかわらず、です。
さらにそれに画力まで加わった作家ともなると、なおさらです。
変な絵師を手本にすると絵描きの袋小路に迷い込んでしまいますので、特に絵を描き初めたばかりの人は注意が必要です。
そこでまるたぁさんは、上記条件を比較的満たしていることの多いアニメのキャラクターデザインを参考にするようにしています。
逆にイラストレータや漫画家は前述のとおりなので、あまり絵柄作りの参考にはしていません。
でそんな中、珍しくまるたぁが参考にしていたイラストレータのひとりが堀部秀郎氏だったんです。
画力はもちろん、絵柄も上記条件をほぼ満たしています。イラストをただの"キャラ絵メモ"ではなく、ちゃんとした作品として構図や色彩設計を考えてのデザインしてらっしゃることにも敬服するばかりでした。
また初期の作品は横田守あたりのelf系入っていてあまり好きではなかったのですが、そこから近年の作品にいたるまでの絵柄の修正は見事でした。
まだまだ氏からは吸収しきれていない部分が多いため、今後も作品を通じて多くを学ぼうと思っていたんですが……非常に残念です。
氏の早すぎるご逝去に哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈りいたします。
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2006年3月17日
「罪と罰とキャラデザ」
いぬようびさん主催のマスコットキャラ大賞にリハビリがてら応募してみたところ、なんと大賞を受賞してしまいました。
ストレートに求められてそうな要素を詰め込んだのが良かったようです。
普段から「ぷぷ、どうせダメヲタなんてこんなの描いてりゃ萌えるんだろ」とか「見た人を少しでも嫌な気分にさせる絵が描きたい」など、良い意味でも悪い意味でも人として最悪の意味でも、人の目というものを常に意識して描いているのが功を奏しましたね。
ちなみに今回のデザインコンセプトは、マスコットキャラっぽくあると同時に"4コマで使いたくなるようなキャラ"という点を重視しました。
何はともあれ、いぬようびの作者さん、本当にお疲れ様でした。
そしてワタクシめは何気に豪華な賞品ゲトです。なんとニンテンドーDS Lite!
庶民の方々が未だDS Lite入手に苦労してらっしゃるとき、まるたぁさんには前回同様棚から牡丹餅的に2台目が転がり込んでまいりましたよ。さて、ゲーム好きの可愛い後輩淳月㌧にでもプレミア価格で売っ払いますかね。
よく漫画やアニメで正義の味方様が「この世に悪の蔓延ったためしなし」とか言ってますが、現実なんてこんなものです。
とか思ってたら、速攻でG女史にDS Lite 2台目奪われたーッ!
,、ァ
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、、 . : : : : : : : : r'".:.: . . `゙゙゙'''、. l|
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ,_ :.: .. ,-‐‐‐-、 ,-‐‐‐-、丶!.
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ヽ:ヽ、 /、、..ニヽ: . . |:。O:| |:O。:| i
i`ヽ、ニ二に:: .|o;;::::| i|::::;;o| ,. i
リ _.尨マ` : " ̄ ̄ < ̄ ̄゛`'i
Y r`i;、、--‐‐'''''',,iニ- _/ 、- 、,,,i
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,、-''" イ,ヲ : : ;、-'゙:.: . / /|_|_|_|_|| i 丶、ヽ、
|: ,、‐i゙ :: ::ヽ:: .:.: // || i \ \ -= i\ _,.、、,、,,..,、,、.,
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/:: \ :| :: :: :',::.: .丶ヽ、 丶 i l ゙、 -=  ̄  ̄ ゙'‐..: ;..;;.;_ :.、.: .:, :... :;、' /::: \: :: :丶:: 丶 -ェエエェ_| l
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……やっぱ神様は見てらっしゃるようです。
って、いつもまるたぁさんから搾取していくG女史は悪じゃないんかよ。多分あの方は純粋なる欲望の権化というか、子供の残虐性のようなものなので、神様的には悪ではないのでしょう。
むしろまるたぁに対する懲罰。神罰の地上代行者ですか。
うは、G女史ってば究極の勝ち組み。
ところでよく考えたら、まるたぁ小屋のマスコットキャラであるみどりお姉さんって……こう……ぶっちゃけていうと魅力ないですよね。なんかシンプルというか、特徴がなくて印象に残らないというか。
そりゃ腐女子のように想像力を働かせればいくらでも萌えられますが、"キャラクターの外見によって定義された"魅力的な要素というのがほとんどないんです。
ここからは身内に向けた少し真面目な話。ねこぐち、輝、ちゃんと読んどけよ。
みどりお姉さんがマスコットキャラとしてあまり魅力ないのは、彼女はもともと漫画の主人公としてデザインされたキャラの流用だからなのですよ。
漫画の主人公というのはストーリーや演出上、いやでも魅力的になっていくもの。だから"見た目"で過剰に目立ってしまうのは、逆に作品自体にキャラが馴染みにくくなってしまいNGなのです(ダメヲタはそれでもハァハァしてますけどね)。
小説、イラスト、アニメ、漫画、ゲーム、それぞれに対しキャラクターデザインのアプローチってのは全く異なるということを覚えておいてくださいな。
最近の"萌え作家"ってのは、この辺の区別が全くできてませんからねぇ。ギャルゲーの設定資料集とか見てると反吐が出ます。うん。
で、これらのうち唯一イラストだけが、作品からストーリー性というものを排除可能です。でも排除可能というだけで、必ずしもストーリー性がないとは限りません。
イラストのためのキャラを描く際は、キャラを作品の持つストーリーに馴染ませるのか、逆にキャラの外見をある程度個性的にすることで作品のストーリー性を拡張させるのか、それともそもそも作品にストーリ性はないのか。そのあたりでキャラクターの外見にどの程度自己主張させるのかが変わってくるので、それを良く考えて。
今回のマスコットキャラなんかは、ストーリー性を排除した典型例ですね。だからキャラクターの外見のみで勝負、ということになるわけです。
ちなみにまるたぁさんは絵柄をアニメ寄りに作っているので、"動かしやすい""描きやすい"という観点からさらにシンプルになっています。
うはー、そりゃみどりお姉さん、マスコットキャラにしたときに魅力ねーわ。
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キャラデザ系のHowTo本で、珍しく役に立ちそうな本。
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2005年11月27日
「デフォルメ」
先日の日記を書いていて思ったんですが、そういえばディフォルメキャラの「デフォルメ(deform)」って、英語で「畸形」っていう意味ですよね。つまりデフォルメキャラは直訳すると、畸形人。
そういうニュアンス "も" あるのではなく、冗談抜きでそういうニュアンス "しか" ありません......これって良いのか?
デフォルメという言葉を最初に使い始めた人が、言葉の意味を良く考えていなかったんでしょうね。
まるたぁが初めてこの言葉を聞いたのはSDガンダムだったのですが、時代的に考えても恐らくこれが起源と考えて良いのではないでしょうか(←間違ってました。追記参照)。
その元祖デフォルメのSDガンダム様ですが、SDとは何の略かご存知でしょうか?
そう、そうですね。
うーわー。
悪魔の植物人間です。毒々モンスターです。
......まぁ当時初めてSDガンダムを見たときの衝撃を考えると、その評価はあながち間違ってもいない気もしますが。
つーかSDが超畸形だとしたら、タマロイド超Cはいったいどんなミュータントなんだと。頭から直接手足が生えてますよ!ベリアルの兄貴ですよ!バスケットケースに入れて持ち運ばないと。あはー!
......あれ、でもSDガンダムって、海外でもリリースされてませんでしたっけ?アニメもオモチャも。しかもシリーズタイトルは『SD Gundam』のままだった気が。
おいちょっと待てバンダイ。それはさすがにヤバすぎるだろう。
と思って調べてみたんですが、どうやら海外ではSDは"Superior Defender(超越守護者)"の略ということになっているらしいです。言葉の意味を考えるならDefenderではなくGuardianを使ったほうが自然なので、これはあからさまなこじ付けですね。
ところでデフォルメキャラというと、最近少しデフォルメの流行というのが変わってきたように感じます。まるたぁが思うに、デフォルメには次の3タイプがあります。

順に
Aの目玉おやじタイプはどの時代も見かける万能型ですね。体の縮尺に応じて手足を自然なスケールに保ったもので、ょぅι゛ょを髣髴とさせロリプニ萌えの人々に大人気です。
Bは体に不釣合いなほど手足が大きくなっており、動きが分かりやすいというのが特徴です。『エタメロ』から『悠久幻想曲』に至るMOO氏全盛期にそこら中で溢れていたのですが、正直最近ではこの体型、パワプロくらいでしか見かけません。みどりお姉さんのアイコンを見ていただいても分かるとおり、何を隠そうまるたぁもこのデフォルメ方法を愛用していたので、寂しい限りです。
そして最近増えてきている気がするのがC。手足が極端に小さい、もしくは全くありません。少し前からよく見かけるのですが、誰か有名な絵師がこのやり方でデフォルメしてたりでもするんですかね?
描き手としての視点からいうと、A<B<Cの順に描くのが簡単になります。
Aはなんだかんだいって非デフォルメ時と同じくらいデッサンを考慮しなくてはならないのに対し、Bは手足の大きさで細かい部分はごまかしやすいですし、Cは手足の先をほとんど考慮しなくてもすみますしね。やはりその辺が、Cがじわじわとパイを侵食しつつある理由でしょうか。
Bが廃れたのは、単に流行が去ったからでしょうね。流行なくしては、3つのうち最も萌えませんから。
だってBの方法では、裸のキャラが描けませんもの。
あくまで衣服の着用を前提としたディフォルメなので、もし裸にしてしまうとデカ足クリーチャーになってしまうのですよ。まさに畸形。
まぁどのタイプのデフォルメを選ぶかは人それぞれですが、難しいながらも万能なAがいちばん良いような気がします。
最後にひとつだけ、これからデフォルメキャラを描こうと思っている方に忠告っつーかお願い。
お願いだから顔はそのままで体だけ小さくしたキャラを描かないで下さい。ぶっちゃけキモイです。
デフォルメ時には、ちゃんと輪郭を丸くしたり目を大きくするなどの調整をー。
追記:
デフォルメ、英語ではなくフランス語(déformer)の方の意味で使われているようです。
フランス語では「形を歪める」という意味で使われることがあるので、良いのだか悪いのだか。
SDガンダムよりも前から、美術用語として使われていたみたいです。
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